2010年04月23日

ブガッティ・ヴェイロン

ヴェイロン(Veyron 16.4 )は、ブガッティ・オトモビルが製造・販売するスーパーカーである。グッド(上向き矢印)グッド(上向き矢印)グッド(上向き矢印)

2005年、フォルクスワーゲングループによって設立された新生ブガッティブランド初の市販車であり、同グループのフラグシップともなっている。2005年に非公式ながら当時世界最高速度の407km/hを記録したが、2007年にシェルビー・スーパーカーズのエアロに破られている。バッド(下向き矢印)

この自動車を開発したブガッティ・オトモビルは、ドイツのフォルクスワーゲンが獲得したブガッティの商標権(ブランド)および製造販売権に基づいて1998年に設立された同社の完全子会社である。
ヴェイロンの名を持つモデルが世に出たのは1999年の東京モーターショーが最初であり、この時のモデル名称はEB18/4ヴェイロンであった。翌2000年のモンディアル・ド・ロトモビル(パリサロン)で搭載エンジンがW18気筒からW16気筒に変更され、現在の名称が採用されると同時に、大まかな仕様(最高出力1000馬力以上、最高速400km/h以上)が発表された。2001年には量産化にゴーサインが出ていたが、高速走行時の空力特性、スタビリティーの問題や、大型エンジンの採用による排熱の問題もあり、開発は難航していた。

正式車名の「16.4」はV8気筒×2のW16気筒+4ターボチャージャーであることを表している。ミッドシップマウントされた8.0Lの排気量を持つW型16気筒エンジンは4基のターボチャージャーにより過給され、1001馬力を発生する。厳しい冷却条件を満たすため冷却水は50L、エンジンオイルは23L必要である。このエンジンはすべて8時間のベンチテストにかけられた後、6500rpmのレッドラインで数分間回される。4輪駆動で、発進から100km/hまで2.5秒で加速し、200km/hまでは7.5秒、300km/hまでは16.7秒、0-200mは6.6秒(到達速度188km/h、CG誌計測)、0-400mは9.95秒(到達速度235km/h、CG誌計測)、そして最高速度は407km/hに達するとメーカーより発表されている。ただし最高速に達するまでには11km、そこからのブレーキングに500mが必要なため、最高速を出すには最低11.5kmの直線が必要になる。また407km/hのトップスピード時の燃費は0.8km/Lであり、100Lの燃料タンクが12分で空になり、その間の走行距離はわずか80kmである。組み合わされる変速機は7段DSG。クラッチ操作を必要としないため、日本のオートマチック限定免許でも運転できる。 フルオートマチックモードとセミオートマモードが備わる。セミオートマモードのときはステアリングホイール裏側のパドルで操作する。エンジニアリングを担当したのはイギリスのリカルド。

ヴェイロンで実際に407km/hを出すには、一旦停車して、ブレーキを踏んだ状態で専用のキーを運転席横のサイドシルに差し込まなければならない(これにより車高が最低位置まで下がり、リアウィングの水平からの角度が最低の2度まで下げられる)。加えて、全てのタイヤ及びマグネシウムホイールを新品に交換するという条件をも満たさなくてはならない。

また、高速走行する際に地上最低高とリアウィングの高さを3段階調整することができる。地上最低高はノーマルが120mmなのに対し、「ハンドリングモード」に切り替えると80mmになり、さらに「トップスピードモード」に切り替えると60mmにまで低くなる。リアウィングは油圧式で、最大にするとルーフを越えるまで上昇する。ブレーキを踏むと立ち上がりエアブレーキとなる。

2005年の東京モーターショーで生産型が正式に発表され、2006年6月からデリバリーが始まった。300台を上限として限定生産される。

たとえ300台を超える受注があっても増産することはなく、受注が300台に満たない場合でも生産期間を引き伸ばすことはないという。このうち日本への割り当ては5%の15台である。ただこれはあくまで予定ということで、もし日本で15台を超える受注があった場合、世界全体の受注が300台に満たない状態であれば販売していくとのこと。

ブガッティ・オトモビルから指名された日本の正規発売代理店(アルピナの輸入先として知られる)ニコル・レーシング・ジャパンは車両価格1億6300万円(税込)で販売開始した。これは100台単位で生産される自動車としては世界最高額であるが、日本ではこれまで4度の価格改定を経て、2009年11月以降の定価は1億7900万円(税込)となっている。最大の市場であるアメリカ合衆国でのメーカー希望小売価格は125万ドルである。

実際に購入するに当たってブガッティおよびその車のイメージが損なわれることを避けるための審査が行われる。まず日本の代理店であるニコルレーシング・ジャパンが顧客の情報を事前に確認、問題はないと判断された上、職業、購入目的等(年収審査は存在しない)の情報をブガッティ本社に送り、審査が行われる。これらの審査を通過した時点で購入の事前確認が完了し、約5千万円の予約金を支払うと、航空券(ファーストクラス)を伴った招待状が届き、モールスハイムのブガッティ本社へ招待される。そこで車の内外装、他オプション等を決め、シートの形状、サイズ、位置などオーナーに合わせ、ブガッティの用意したテストコース(サーキットや公道など)で試乗をし、納車までの間に残りの金額を支払い最終的に納車となる。本社に行かずに日本で仕様を決めることも可能である。
購入した顧客にはブガッティのオーナークラブへの入会資格があり、クラブではオーナー同士が400km/hオーバーを目指すレース等のイベントが行われる。

2007年、日本で新規登録されたブガッティは3台であった。
posted by zupaka at 17:13| スーパーカー

アウディ・R8

アウディ・R8は、ドイツの自動車メーカーアウディが製造・販売するクーペ型のスポーツカーである。右斜め上右斜め上右斜め上

2003年のフランクフルトモーターショーで披露されたコンセプトカーである「アウディ・ルマン・クワトロ」をベースにしたスポーツカー。随所にR8レースカーのテクノロジーが組み込まれている。

ボディにはASF(アウディ・スペース・フレーム)を採用し、ボディのみで210kgという驚異的な軽さを実現した。また、エンジンフレームの一部にマグネシウム製パーツを採用している(ASFとしては初めて)。ボディはほとんど手作業で作られ、さらにX線でミクロン単位まで溶接部をチェックするなど、細部にわたってこだわっている。

エンジンは、R8レースカーのテクノロジーが詰まった4.2L FSI 直噴 V8 DOHCを搭載。最高出力420ps/7,800rpmを発生する。また、オイル循環にはドライサンプ方式が採用され、エンジン搭載位置を下げることで低重心化に貢献している。

トランスミッションは6速Rトロニックを採用。これは、メカニカルギアボックスと電動油圧クラッチを組み合わせたもので、ATモードとMTモードが選択できる。

サスペンションは前後ともダブルウィッシュボーンで、標準搭載のガス封入式ショックアブソーバーと、アウディ マグネティック ライドをオプションで選択可能。

細部にまでこだわったこのR8は、ドイツ・ネッカーズルムのネッカーズルム工場で1日わずか20台ペースで生産される。

先に本国ドイツやヨーロッパで発売され、日本でも2007年7月から価格1,670万円で発売開始。日本では当初、左ハンドル/4.2リットルV8FSI/6速Rトロニックの仕様のみが発売されたが、2009年2月17日より6速MT仕様を追加。

2009年1月に開催されたデトロイトショー2009では、5.2FSIクワトロを発表[4]。同モデルは最高出力525ps/8,000rpmを発生する高回転型5.2L V10エンジンを搭載した他、フロントグリルのクローム処理やフロントエアインテークの大型化など、外観にも変更が施されている。価格は1,994万円で、同年4月より予約受付を開始。
posted by zupaka at 17:10| スーパーカー

最近のスーパーカーだ!

アスカリ・KZ1右斜め上右斜め上右斜め上

アスカリ・KZ1(Ascari KZ1)は、イギリスの自動車メーカーアスカリ・カーズが製造・販売していたスーパーカーである。2001年、アスカリがイギリスのバンベリーに新工場を立ち上げるのと同時に開発をスタート。2003年にエコッセに続く2番目の市販車として発表した。1台につき340時間以上かけて手作業で組み立てられるため、50台限定での販売であった。価格は235,000UKポンド(日本円で約4230万円)。

エンジンはBMW・M5(E39型)用の4.9L V型8気筒 DOHC 32バルブエンジンをミッドシップに搭載する。ノーマル状態からさらにチューニングを受け、最高出力500ps/7000rpm、最大トルク500Nm/4500rpmを発生。オイルの潤滑にはドライサンプ方式を採用している。

組み合わせられるトランスミッションは6速MT。ボディはカーボンファイバー製モノコック構造をとる。

また、購入者にはアスカリの関連会社がスペインロンダで運営する「アスカリ・レース・リゾート」のサーキットでKZ1をドライブできるという特典が付いている。


レース活動ダッシュ(走り出すさま)ダッシュ(走り出すさま)ダッシュ(走り出すさま)

2002年、「チーム・アスカリ」としてル・マン24時間レースにジャッド製 4.0L V10エンジンを搭載した「KZ1R」でワークス参戦したが、リタイヤに終わった。

2003年は「KZ1R」でFIA スポーツカー選手権にワークス参戦。

2006年からはイギリスのレーシングチーム「ダマックス」と「ベルランガ」が「KZ1R」でFIA GT選手権のサポートレースであるFIA GT3 ヨーロッパ選手権に出場している。
posted by zupaka at 17:08| スーパーカー

ジャガー・XJR-15

ジャガー・XJR-15は、1990年から1992年にかけて、トム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)がジャガーブランドで開発・製造したスポーツカー。

元々はTWRがF1のサポートレースとして、ポルシェ車による「ポルシェカップ」に類するジャガー車によるワンメイクレースを企画し、そのレース用の車として当初50台限定の予定で開発されたという経緯を持つ。そのため公道走行が可能なスポーツカーでありながら、本来ジャガーの純レーシングカーに与えられる「XJR」の型番が付けられる車となった。オリジナルは6リッター・V型12気筒エンジンを搭載し、450馬力を発生する。1991年には実際にXJR-15によるワンメイクレースがモナコグランプリ、イギリスグランプリ、ベルギーグランプリと3戦開催された。

その高い性能は、ほぼ同時期にジャガーが発売したXJ220と比較され、XJ220がV型6気筒ツインターボエンジンを搭載したのに対し、こちらはV型12気筒エンジンを搭載したことからマニアの人気を集めた。また当初より市販車として開発されたXJ220に対し、XJR-15はその成り立ちから純レーシングカー並みの高い性能を持ちながらも公道走行が可能だったため、フラッグシップスポーツカーとしてXJ220をプッシュしたかったジャガーの思惑とは裏腹にXJR-15が実質的なフラッグシップの地位を占めてしまった。そのため、販売面だけで言えば結果的にXJ220の足を引っ張る存在となった。

後にXJR-15 LMと呼ばれるエボリューションモデルも開発された。こちらはエンジンがXJR-12に搭載されていたエンジンの発展形である7.4リッター・V型12気筒に変更され、出力も760馬力まで向上している。

日本に輸入された記録はない。あせあせ(飛び散る汗)

1997年には、日産自動車とNISMOがTWRと共同で、ル・マン24時間レース参戦用の車として日産・R390を開発した際に、XJR-15がベース車種となったと伝えられている。


スポーツカーって?という方の為に補足グッド(上向き矢印)

自動車の使用目的を条件としたカテゴリであり、運転を楽しむ(スポーツドライビング)ことを主な目的とし、高速走行時の操作性を含めた運動性能に重点を置いて設計・製造された自動車のことをいう場合が多い。
「スポーツカー」は自動車のカテゴリ中、最も古いものの一つである。1913年のイスパノ・スイザ3.5リッター車は、世界で初めてスポーツカーと呼ばれた車[1]。同時期のスポーツカーとして、ブガッティT13やボクスホール・プリンスヘンリーがある[2]。 自動車競技の創生期には競技用車両の事をスポーツカーと呼んでいた。当時のスポーツカーのほとんどは屋根がなく、またボディからタイヤが飛び出しているオープンホイールと呼ばれるデザインであった。その後タイヤをボディに納め、フェンダでカバーする形式が登場する。オープンホイールタイプのレースカテゴリはグランプリをはじめとして既に確立されており、これらと区別する目的でオープンホイール以外の競技車両をスポーツカーと呼び始めた。

当初は、競技用車両が一般公道を走行する事は普通に行われており(サーキットまで自走し、競技に参加することは普通に行われていた)、スポーツカーと競技車両の区別は必要なかったが、競技規定の充実にともない、これは困難となっていった、しだいに競技用車両はレーシングカーと呼ばれて区別されるようになる(スポーツカーを元にした競技用車両をスポーツレーシングカーと呼ぶ場合など例外もある)。 競技車両との差が明確になるにつれ、競技車両への応用を前提とした量産車の事をスポーツカーと称するように変化していったが、さらに時代が変化しレーシングカーの特殊化が進むにつれてスポーツカーとレーシングカーの共通点は少なくなり、現在の日本においては、スポーツカーは公道で走ることを主な目的として設計されている車、レーシングカーはサーキットなど競技で使われる車を指す。

なお、スポーツカーから派生した言葉としてスポーティカーというものもある。スタイリングがスポーツカーに似ているなどスポーツカーの備えている特徴のいくつかを有している車で、スポーツ向けに仕様を振ってあるが、スポーツカーとまでは言えない車のことを指すが、両者の間に明確な区別はない。
posted by zupaka at 17:05| スーパーカー

ジャガー・XJ220

ジャガー・XJ220とは、イギリスのジャガーが発売していたミッドエンジン スポーツカーである。ダッシュ(走り出すさま)ダッシュ(走り出すさま)ダッシュ(走り出すさま)

名前の由来は、目標最高時速が220マイル(時速約352km)を目標としていたことによる。
元々はジャガー社内のエンスー的技術者たちによる、趣味的サークルが発端。1988年のバーミンガムショーにてプロトタイプが公開された。

ボディパネルはアルミ製で、シャシーはアルミハニカムをアルミ板で挟んだパネルによるモノコック構造。フロントには可変式のスポイラーを装備。サスペンションは、ダブルウィツシュボーン式を採用し、レーシングカー並みのセッティングを施していた。

ボディのデザインは、幻に終わったレーシングプロトタイプ「XJ13」をモチーフとし、当時TWRに在籍していたイアン・カラムが手がけた。インテリアはコノリー社製高級レザーハイドのトリム、ウィルトン社製のウールカーペットなど、そのレーシングカーに準じた性能とは裏腹にジャガーらしい豪華なものであった。

ショーデビュー当初はまだ市販が決定していなかったが、たちまち1500台に及ぶ注文が殺到し、のちにTWR(トム・ウォーキンショー・レーシング)との連携で市販が決定した。

デビュー当初、XJ220は、6.0LV型12気筒DOHCをミドシップレイアウトで搭載したフルタイム4WD車になる予定であった。しかし、生産化が正式に決定した後、これでは重量があまりにも大きくなる事がわかり、やむなくグループCカーのXJR10に使用されていた3.5LV型6気筒DOHCツインターボエンジン(540PS)をMRレイアウトで搭載することとなった。

目標の最高時速220マイルには届かなかったものの、最高時速は347kmで、当時としては世界最速だった。0-100km/h加速も僅か3.9秒と、高いポテンシャルを持っていた。

市販モデルは1991年の東京モーターショーで発表。価格は29万ポンドで、当初は名前にちなんで限定220台の予定だったが、世界的な好景気により注文が殺到。急遽生産台数が350台にまで引き上げられた。

前述のエンジンの問題を解決するため、実際のデリバリーは1992年まで遅れてしまったが、うってかわって時は世界的不況。さらにはV12エンジンが搭載されないことへの不満や、同時期にTWRが発表したジャガー・XJR-15と市場が競合してしまったことなどから、最終的には281台ほどしか売れず、その高いポテンシャルにもかかわらず、マーケットでは成功を収めることが出来なかった。

日本への正規輸入は無かった。

レースグッド(上向き矢印)グッド(上向き矢印)グッド(上向き矢印)

1993年にはル・マン24時間レースのカテゴリー4(GTクラス)に、XJ220のレーシングバージョンである「XJ220C」が3台出走。うちジョン・ニールセン/デビッド・ブラバム/デビッド・クルサード組が総合15位・クラス優勝を果たしたが、2週間後に排気系のレギュレーション違反が発覚して失格となった。 その後も度々出場しているが、目立った成績を残せないまま1995年前後にサーキットから去っている。1995年のル・マン24時間レースにリチャード・パイパー率いる"PC Automotive"から二台エントリーした内の一台は、後にナンバーを取得し、現在は日本に存在すると言われている。
posted by zupaka at 17:03| スーパーカー

90’だね。

チゼータ・V16Tダッシュ(走り出すさま)ダッシュ(走り出すさま)ダッシュ(走り出すさま)

チゼータ・V16Tとは、かつてイタリアの自動車メーカーであったチゼータが生産していたスーパーカー。正式名称は「チゼータ モロダー・V16T」である。

名前の由来にもなっている6LV型16気筒DOHCエンジンはランボルギーニ・ウラッコに搭載されていた3.0LV型8気筒エンジン2基を改良し合体させたもので、これをミッドシップに横置きでレイアウトしている。このエンジンと縦置きのトランスミッションを組み合わせると「T」字型になることが「V16T」の「T」の由来にもなっている。100km/hへの加速時間が4.4秒、さらに最高速度328km/hと、驚異的なポテンシャルを発揮する。

車体はチューブラーフレームにオールアルミ製ボディで、マルチェロ・ガンディーニがデザインした。このデザインはディアブロのプロトタイプとも言われている。

内装は高級オーディオとレザーインテリア、足周りはブレンボ製ブレーキにピレリの当時最高のタイヤというように装備も豪華だった。

1989年にショーデビューを果たして多くの人の関心と注目を集め、一台60万ドルで1992年から月1台のペースで生産が始められたが、チゼータの倒産に伴いわずか8台(最終的には15台)で生産終了となった。当時日本には2台のV16Tが輸入されており、うち1台は河口湖自動車博物館に展示されている。

現在ではアメリカに再び設立された「チゼータ・オートモービル・USA」で受注生産されている。
posted by zupaka at 17:01| スーパーカー

イターリア!!

パガーニ・ゾンダ右斜め上右斜め上右斜め上

パガーニ・ゾンダ(Pagani Zonda)は、イタリアのパガーニ・アウトモビリ社が1999年から製造しているスーパーカーである。AMG製のV12エンジンをミッドに積む。エクステリアはパガーニ・アウトモビリ社の創立者、オラシオ・パガーニ自らの手によるものである。

アドバイザーとしてパガーニが崇拝する、同じアルゼンチン出身で、不世出のグレートドライバーとして知られる、ファン・マヌエル・ファンジオが起用され、ファンジオの意見が随所に取り入れられている。イタリアのスーパーカーがドイツのエンジンを使うことは珍しいが、これもファンジオのアイディアである。

ゾンダは「南米に吹く風」という意味で、パガーニの出身地であるアルゼンチンの風から名づけられた。 「C12」の「C」は妻であるクリスチーナの頭文字で、「12」はパガーニにとって12台目のミッドシップ・プロジェクトであることを意味する。

特徴的なエクステリアに相応しく、インテリアは絢爛かつ豪奢。マテリアルには、レザーとアルカンタラ、アルミ、カーボンファイバーを用い、独自の世界観をもつ。

日本には保安基準の関係で正規輸入はされておらず、インポーターやディーラーもないため、日本以外のディーラーから購入し、輸入する、二次販売の形態(いわゆる並行輸入)で少数が上陸している。

2004年、辛口の批評で有名な米国のスポーツカー専門誌、スポーツカー・インターナショナルの選出したベスト・スポーツカー2000年代部門で第4位を獲得している。

2005年ジュネーヴショーでゾンダ・ロードスター Fを発表した。このFはファンジオのFである。

2008年8月、日本に正規輸入第一号車が納車済み。世界に25台中のシャーシナンバー24

また、最上位モデルであるチンクエは5台のみ生産され、価格は80万ユーロであったが完売している。 2009年7月、チンクエ・ロードスターが発表された。

競技車両ダッシュ(走り出すさま)ダッシュ(走り出すさま)ダッシュ(走り出すさま)

GR
C12 Sをベースにしたレース車両。アメリカン・ルマン・シリーズなどに参戦したが、目立った結果を出せずに終わっている。
C12 S Monza(モンツァ)
アメリカのあるオーナーがパガーニに依頼し、GRをベースに開発したワンオフモデル。
PS(Peter Saywell)
イギリスの実業家ペーター・セイウェルがパガーニに依頼し、Fをベースに開発したワンオフモデル。新設計のエキゾーストパイプを装備している。
トリコローリ
2010年のジュネーブモーターショーで公開。イタリア空軍のアクロバット飛行隊である「フレッチェトリコローリ」創立50周年を記念して制作されたワンオフモデル。チンクエをベースにボディは専用のクリアブルーに塗装され、フレッチェトリコローリと同様のストライプが施されている。
posted by zupaka at 16:59| スーパーカー

ベンツのスーパーカー@@@

メルセデスベンツ・CLK-GTRダッシュ(走り出すさま)ダッシュ(走り出すさま)ダッシュ(走り出すさま)

メルセデスベンツ・CLK-GTR (MercedesBenz CLK-GTR)は、メルセデス・ベンツとAMGとが1997年FIA GT選手権参戦用に開発した、FIA GT1規定のレーシングカー。

1996年で国際ツーリングカー選手権(ITC)が終了したことにより、国際自動車連盟(FIA)はそれまでBPRと言う団体が主催して1994年に発足した「BPR GTグローバルシリーズ」(1995年及び1996年は鈴鹿1000kmもシリーズの1戦に加わっていた)と言う国際耐久シリーズをFIA直轄とし、1997年よりFIA GT選手権としてスタートさせた。

ITC終了で戦いの場を無くしていたAMGメルセデスは、わずか128日と言う短期間でGT1マシンを製作し、このシリーズにワークス参戦した。エンジンは6リットルV型12気筒を搭載。エンジンの開発に当たっては、マクラーレン・F1を購入し、エンジンを自社開発したV12エンジンに換装してテストを行っている(ITCに参戦していたCクラスのバンパーなどを装着して擬装した車輌の写真も撮影されている)。このため、当初はマクラーレンF1をベースに作られるのではという噂が流れていた。当時のGT1規定は1台でもロードカーを作ればホモロゲーションが取れたため、ロードバージョンが25台製造、実際に販売された。Cカー同様、モノコックはカーボンコンポジットであるが、ローラがシャシーの製造を手がけたといわれている。

トランスミッションはパドルシフト式6速シーケンシャルシフトで、センターサイドコンソールにバックギアのレバーがある。ニュートラル時にこのレバーを引き上げるとバックギアに入る。ロードカーでは車高調整機構やパーキングコントロールを装備し、日常での運転にも応えるものとなっている。レース仕様車では、右手の切断事故の後遺症があるアレッサンドロ・ナニーニのために、二つに分かれたシフトレバーを搭載した特別仕様車が用意された。それぞれのレバーを押し分ける事でシフトダウンとシフトアップが出来るようになっていた。勿論その他のドライバーでも押し引きすれば通常と同じようにシフトチェンジできるよう工夫が凝らされていた。

シーズン序盤こそ、信頼性不足で苦戦するが、第4戦ニュルブルクリンクで初優勝を遂げると、後は快進撃を重ね、全11戦中6勝を上げ、チーム(AMGメルセデス)/ドライバーズ(ベルント・シュナイダー)のダブルタイトルを獲得した。

翌1998年は、ワークス(AMG)も第2戦シルバーストンまで使用した他、プレッソンチームにも供給されプライベート参戦した。第3戦以降、およびル・マン24時間レースには、後継マシンのCLK-LMを投入することになる。その為、ル・マン24時間レースにこのマシンが姿を見せることは無かった。

通常バージョンの市販が一定数に達した段階で、特別仕様車としてCLK-GTR Roadsterがごく少数発売された。Aピラー以降のルーフをオープントップにしており、その後部はロールバー状に二つの隆起があるのが外観の特徴である。
posted by zupaka at 16:57| スーパーカー

マクラーレン・F1とかいいね。

車輌バリエーションわーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

XP

試作車輌である。車名の"XP"とは"eXperimental Prototype(エクスペリメンタル・プロトタイプ)"を意味する。先行試作車という意味合いである。全部で五台が製造され、各種のテストやパーツの比較検討に供された。一号車はサイドミラーがAピラーに取り付けられる等、後に登場する市販車とは若干外観が異なっている。一台がナミビアでのテスト(高温地での耐熱等テスト)の最中にクラッシュして大破してしまう。

F1

1993年12月25日に一号車がロールアウト、市販された。
GTR(1994~1996)

マクラーレンF1のレース仕様として1994年に登場。当初競技車輌として使用することに否定的な反応を示していたゴードン・マレーに対し、ロン・デニスと個人的な交友があったGTCモータースポーツのオーナー兼ドライバーであるレイモンド・ベルム等がこのマシンのレース車両としての資質を見抜き、交渉の末GTレース専用車として登場した。外観上の差異は市販車と比べ、リアウイングの装着、専用のフロントスポイラー及びバンパー、サイドスカート等のエアロパーツの装着等、比較的軽微な物となっている。フロントスポイラー部分はチームによって2~3種類の形態のバリエーションが存在する。エンジンは市販車の628psからリストリクター(吸気制限)の規定に従って600ps程度に絞られている。
1996年にはウィークポイントであった重心の高い大排気量エンジンから来るハンドリングの悪さを緩和する為に、エンジンの取り付け位置を20mm下げる改良を施し、重心を相対的にハンドリング性の向上を図っている。またル・マン24時間レース等における夜間走行時の輝度向上と視界確保の向上を狙って、ヘッドライトが二つの盛り上がった透明なバルジの中に収められた大型のライトに変更された(通常のライトも継続して使用されている)。ライトポッド自体もノーマルと比べ前進している為、左右及び前方の照射角度が広がり、夜間走行時のドライバーの心理的負担の軽減にも寄与している。ライトの交換はフロントカウルごと交換を行う。このライトを採用した為、前年のル・マン24時間レースで使用していた補助ライトは廃されている。この他、ワイパーのアームを細い物に交換する等、様々な部位の軽量化が図られている。こうした細かい改良によってハンドリング向上に寄与している。
退役後に公道走行用に改造の上ナンバーを取得して、ロードカーに生まれ変わった車輌が存在している。前述したレイモンド・ベルムは1996年に鈴鹿1000kmで自らが乗ったガルフ・オイルカラーのGTRをロードカーにして、1997年のル・マン24時間に自らのドライブでサーキットに駆けつけている。この車輌のロードカーへのリビルトと転用改造はマクラーレンカーズで行われた。運転時には本人曰く「運転は快適で楽しいんだけど、ちょっとうるさいんだよ」と語るとおり、インカムを着用する必要がある。
McLaren F1-LM

1995年のル・マン24時間レースの総合優勝を記念して、五台のみ限定で生産されたロードカー。空力パーツはGTRそのままの形態となっており、更にスライド式の小窓を設けた固定式窓等、通常のロードカーと比べてもかなりスパルタンな仕様に仕立てられている。エンジンにも更なるチューニングが施され、通常の628psから648psに強化され、トルクも更に強大な物となっている。車体のカラーリングはブルース・マクラーレンに敬意を表してオレンジ色のみとなっている。

GTR(1997)

ポルシェ・911 GT1の登場に危機感を募らせたマクラーレンカーズは翌1997年に、殆ど共通部品を使用しない新設計と言っていいほどの「エポリューションモデル」として1997年モデルを投入することになる。マシン全長と全幅を拡大し、ボディ全体の空力を見直してダウンフォースを強化し、トランスミッションもノンシンクロ式の6速シーケンシャルシフトに改められている。またボディの大型化によって機器類の配置に余裕が出たため、ミッションの接続はワイヤーリンケージからロッドリンケージに改められている。屋根上のエンジン吸気用エアスクープは、屋根の流れに沿って気流を送るそれまでの物から、高いラム圧と吸気効率を得る為にシュノーケル形の物に変更された。後にフードをかぶせてより高い吸気効率を得る改良が各車輌に加えられている。エンジンの排気量はそれまでの6064ccから、リストリクターの規制が従来より緩和される5999ccに下げられているが、全体のパワー低下は見られない。リアウイングはコースによって翼端板が大きい物と小さい物等のバリエーションが存在する。前年度型のマシンに採用された大型ライトはこの1997年型にも採用されている。
しかし、あくまでもマクラーレンF1GTRを競技用車輌とはいえ「ロードカー」という枠組みに当てはめた上でのレーシングカーにしたい(GTカーのみならずツーリングカーのレースに於いて、これは至極当然の事である)ゴードン・マレーの意向に反するように、ロードカーが規定を満たす上での「言い訳」として作られたAMGメルセデス・CLK-GTRやポルシェ・911 GT1等の台頭が著しく、徐々に苦戦を強いられる場面が多くなり、結局同年秋にBMWからのエンジン供給契約が満了したことを受けてロードカーの生産が打ち切られたこともあり、この年を持って表舞台から遠ざかる事となる。マクラーレンF1GTRが去ったその翌年からはGT1カテゴリーが手の付けられない「恐竜」のような存在と成り果て、瓦解の道を辿っていったことは言うまでも無い。なお1999年のル・マン24時間レースには、プライベーターチームからLM-GTPクラスに「プロトタイプレーシングカー」としてエントリーし、総合3位を獲得してル・マンから去っている。そしてその後も全日本GT選手権に於いて生き永らえて行く事になる。
GT

1997年の「エボリューションモデル」の登場に際し、EUでの公認を受けるレギュレーションを満たす為に製造されたロードカー。合計三台のみ製造されたが、市販はされていない。外観は1997年型のGTRからリアウイングを省いた程度である。
posted by zupaka at 16:56| スーパーカー